日航123便の出来事を強く示唆する「破片」【よもやま話】御巣鷹の尾根探訪

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よもやま話
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地上のトンボ

今年もトンボがその姿を野に現して、季節が一巡した事を告げている。
トンボは、その羽を活用する事による行動範囲の拡大が食物の獲得を迅速かつ容易にして、より良い産卵場所の探索が可能になったんですか?とトンボに聞いてみたい私。
トンボのその背の羽をむしり取って、奇妙な姿になったトンボを地面に置いて観察した、

極めて残酷かつ自己中心的・悪魔的であった幼少時の私。
羽を失った哀れなトンボは、その貧弱な足を必死に動かしてあてもなく動き回り、
その滑稽な姿を晒す。トンボの足の用途は捕獲した食物の運搬と、航空機で言えば、
いわゆる「降着装置・ランディング ギアー」であって、地上における移動が主目的ではないはず。
食物の獲得が事実上不可能になり、地上を這い回り、尋常でない体力を消耗した
トンボは、やがて死に至る。
トンボの命は私の手の内にあり、私に支配にされたか?
答えは「否」だ。
地球上のいかなる魂も神の使徒の手によって天に召される、と仮定してみると・・・・・・
とモヤモヤ考える私であった。

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なりを潜めた「欲望」

このトンボの羽むしり遊びを、子供の戯れと規定し、その邪悪な性質は、時間の流れが改善をもたらす、と考えていいものかどうか検討の余地はあると考えた私。
今日の私のこのような行為への欲望は「なりを潜めている」だけなのではないかと考え、戦慄を覚える私だ。

9月上旬。私は群●県の山間部の某所に来ている。(画像)
この後、距離にして800メートル・時間にして30分ほどの登山をする予定だ。

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危ういバランス感覚

右手に沢を見つつ登山道を歩く。登山口より歩き始めて数分。 この時点では勾配はさほどではない。

邪悪な欲望について、私は自己分析できるようなバランス感覚を持っている事がせめてもの救いだと思うが、それらのバランス感覚が麻痺するような瞬間の訪れを、何がもたらすか、現時点での私には推測すら出来ないのが恐ろしい。

自らの欲望(この場合トンボの哀れな姿を見て笑う)の為に他者の苦痛・犠牲に注意を払わない、この「子供の戯れ」が、いずれ人命軽視の経済効率最優先の世界の構築の雛形になっていたとしたら?それらを無力化する方策は私にはわからない。
少々論理の飛躍かも・・・・・

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火と刃物の扱いについて。

登山口より数分。山道の脇に手すりが設置されているが、勾配は徐々にきつくなっていく。夏の終わり。蝉しぐれ。鳥のさえずり。木漏れ日。
火・刃物などの危険物の扱いについて私は考えた。火をたとえていえば、蚊取り線香に点火するための100円ライターから、原子力発電所まで、生命を危険に晒す重大事故の可能性をはらんでいる事をさまざまな事例から私は学んでいる。
予防可能な不安全行動や不安全状態をなくすことで重大な事故を防ぐ為の理論は前世紀初頭に既に構築されてはいるが。

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インシデント

登山口に設置されていた案内板に、山頂までの行程は800メートルとあり、「なーんだそれくらい軽い・・・」と思っていた事は誤りであったと、行程のおよそ半分の地点でその急勾配にて既に息が上がっている私は思い知らされた。
登山道各所に設置されているベンチをありがたく利用させていただく(画像)

1999年以降、私は頻繁に海外に出かけており、自分の生命を預ける航空機にかかわるあれこれについて文献をあさっていた時発見した、航空・船舶・鉄道の運行時における、重大事故につながらなかった潜在的事例をあらわす用語の、「インシデント」を作品のテーマとして私は引用した。

     「PLASTER INCIDENT」

語感がかっこいいと感じるのと、作品とは言い切れないが、「作品」につながるような潜在的造形物・という、その時点での私の感覚を端的にあらわした言葉なのだった。

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背筋が凍る・・・

急勾配の登山道の脇の山の斜面の様子は、下草は生えそろっておらず、若木が目立ち、
不自然な感じに枯死した木の根が目立つ。

21世紀早々・2001年1月31日。駿河湾上空で大型旅客機同士のニアミス事故発生。重大事故の予兆はこれ以前に多数あったはずである。

「航空機同士の10数メートルの接近は、自動車で言えば、感覚的に5cmの接近に相当する」

・・・という客室乗務員のコメントに背筋が凍る思いがした私であった。

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つずらおりの登山道の向こうに。

登山道は急勾配なのだが、除草され、手すりが設置されて、整備は行き届いている。
登山口より歩き始めておよそ30分。木々の間から漏れる陽光が明るさを増し、尾根が近い事を示している。
つずらおりの登山道の向こうに墓標が見え始める。

1985年8月12日。
この日の私は東京芸大受験の準備の為に、東京・御茶ノ水にある美術の予備校で夏季講習を受講したと思われるが、この当時の私の日記・手帳などは現存しないので、下校後の私の足取りは確定できない。
ただ、午後8時頃にテレビのニュースで「B747型機が消息不明」の速報を自宅で聞いているので、寄り道なしで帰宅したと思われる。
そして、この日本において大型旅客機が消息を絶つという事は何を意味するか、翌朝の朝刊の記事で思い知る事になる。

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尾根にて。

視界が開け、尾根に到達した。そして「航空史上空前の大惨事」の地に私は立っている。

この凄惨な、黙示録的事故に関して、公式発表としての事故原因は特定されてはいる。
事故原因についてのあれこれ・・・もっともらしい、都市伝説的・オカルト的説から、データにもとずいた説まで、文献をむさぼり読み、勉強したつもりの私ではあるが、それらの情報を分析できる能力がないので、未消化感を抱きながらこの27年前のこの事故に思いを馳せている私だ。私の心情的には本当の事故原因の究明は、事故を大幅に減らす事と、事故における生存率の向上につながると信じたいが。それらが実行される見込みがあるかどうかは残念ながら疑問だ。

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「黙示」の破片

事故発生から27年を経てもなお、この事故現場の土中からは事故機の破片が出てくる。
時速数百キロで移動していた、数百トンの重量の物体のスピードが瞬時に「0」になる事の結果は、今、私の手のひらの上にある。
この、ジュラルミンの破片の、現状に至る経緯を、文献からの情報と合わせて想像する私だ。

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このアクリル板を通して。

同様に土中から発見された事故機の窓に使われていたと思われるアクリル板。
透明だったはずの本来の状態から、事故の衝撃により、全体に細かいひびが見られ、すりガラス状になり、火災による焦げた跡が見られる。

この事故による遭難者の残した言葉に思いを馳せる私。
いかなる「生」も、さほど遠くない未来に「死」を迎えると予測はしているものの、この事故のような極限状態・身に迫る「死」への対抗が困難であると直感した瞬間の言葉は、あまりにもなまなましい。

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答えは出ないままに・・・

いつかは必ず私にも訪れる、「死」がどのような形で訪れるのか、それはゆっくりと十分な準備期間を経て来るのか、またはなかば突然に強制的に訪れるのか。

私が搭乗している、B747型機は離陸の為のタキシングを始める。手を振る地上整備員に応えて手を振る子供の、きれいに切りそろえられた頭髪をそのとなりの席からほほえましく思いつつ、眺める私であった。

哀れな、弱い、幼なかった頃の私の世話をしてくれた人のその精神的背景は何だったか? 答えは出ないままだ。

食べ物という形で、どれほどの多くの「死」が、私の「生」の維持の為に費やされたか?

ありえない、異常な角度でB747型機の窓からの風景が見える。
暮れなずむ山間部の集落に明かりが灯り始めている。車の赤く光るテールランプが連なって峠道をゆっくり流れている。

この巨大なB747型機は、更に巨大なシステムによるバックアップなくしては飛べない。 
この巨大なシステムの運行にたずさわる人々の精神的背景は、目先の利益であるはずがないと信じる私だ。

窓いっぱいに山間部の木々が流れていくのが見える。

私の口の中いっぱいに血の味が広がった瞬間、虚空に弾き飛ばされた私は、四散していく私の肉体を眺めていた。

天に召される花嫁の行列を私は見た。 

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リスクと利益のバランス。

「昇魂之碑」の前に立ち、南東方向の尾根を望む。事故機の機体の一部が接触し木々をなぎ倒してできた、いわゆるU字溝が見える。
この事故についての文献の記述の事実をなぞり、その現場の空気を感じる私。


今日の旅客機のシートベルトは、時速500kmの速度で地面に激突した際の乗客の生存率を確保できているとは、残念ながら私には思えない。
航空便を利用する事の利益とリスクのバランスは利益の方に傾いていると私は納得して、利用せざるを得ないのが現状だ。
飛行機を利用するのは恐ろしいと公言しつつも、私は日本とニューヨークを5回も往復し、それなりの成果を上げているのだ。

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(2012年09月5日)

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